デザイアと呼ばれた男 VOL 11
5
鬼頭が店にやってきてから明らかにマユミの雰囲気が変わった。
俺が話しかければそれには答えたが、常に上の空といった感じだった。
マユミは必要最低限以外の言葉を話さず、黙々と仕事に打ち込み、時間を費やしている感じだった。
鬼頭が去った後、マユミは決してその話題に触れようとしなかったが、常に頭の中で過去の忌まわしい記憶がリピートしているようだった。
それはそうだ。
自分の恋人を殺し、自分を犯した者たちが目の前に現れたのだ。
俺は國無から話を聞いて、過去に何があったのか知っている。
しかし、マユミは俺がそれを知っているとは思っていないだろう。
俺は二人の間にあるその溝を歯がゆく思った。
心の底では今すぐマユミを抱きしめ、心の痛みを少しでも和らげてやりたかった。
しかし、それはできない。
それが今ある現実の世界だった。
夜になり、マユミは俺より一時間早く上がった。
帰り際までマユミは作り笑いをつくろっていたが、心はどんよりと沈んだままだった。
マユミの心の痛みが俺にも伝わってきた。
マユミに惚れている俺はすっかり同情し、マユミの決意を秘めた気持ちの変化にまつたく気づいていなかった。
「ワールド」からの帰り道、俺が自転車で家に向かって走っていると、國無から電話が掛かってきた。
俺は自転車を停め、携帯を取った。
「凛、今どこだ」
「今、家に向かってるところだけど……」
「すぐに帰って来い。緊急事態だ。今お前の家の前にいる」
そう言って國無は一歩的に電話を切った。
仕方なく俺は自転車にまたがり、大急ぎで家に帰った。
家の前に着くと、國無が車を停めて待っていた。
今日は黒のハイエースに乗っていた。
俺が運転席が側の窓際に自転車を付けると、國無が窓を開けて言った。
「早く乗れ。マユミが危ない」
「!!!」
俺は自転車を自転車置き場に停め、ハイエースに乗り込んだ。
國無はすぐに車を出した。
気がつくと俺の足元に小さなトランクが置いてあった。
「早く用意しろ。〝デザイア〟になるんだ」
國無は前を見つめたまま言った。
トランクの中には〝デザイア〟になる為の一連の変装グッズと武器が詰め込まれていた。
「なあ、緊急事態ってどういうことだよ」
俺は着替えながら國無に問い詰めた。
「昼間『ワールド』に『ニガー』連中がきただろ?その中にオールバックの大男がいただろ。あいつは鬼頭といって『ニガー』の頭で、過去にマユミの恋人を殺し、マユミ自信を犯した張本人だ」
「何だって……」
「鬼頭との再会でマユミの中で眠っていた復讐心に火が点いた。マユミは今日中に何らかの行動をしようとしている。その証拠にマユミは今、長期延滞者のリストを持って単車で『ニガー』の連中の後を付けている」
「何をする気なんだ?」
「恐らく、目的は二つある。一つは鬼頭に復讐すること。だが、具体的に何をしようとしてるのかまでは分からない。それともう一つは〝デザイア〟に会うことだ」
「……俺に?」
「お前じゃない〝デザイア〟にだ。マユミはお前の正体気づいてないだろ」
「同じことだろ。〝デザイア〟は俺じゃないか」
「恐らくマユミは〝デザイア〟に自分の胸のうちを聞いてもらいたいと思っているはずだ。今、自分の気持ちを受け止めてくれるのは〝デザイア〟だけだと思っているからな。今日、『ニガー』の連中が持ってきたチラシを見て決意したんだろう」
「何であんたそんなことまで知ってるんだ?」
「そんなことはどうでもいい。へたをすればマユミは鬼頭に殺されるぞ。あいつは人を殺すことなど何とも思っていないからな。恐らくまたレイプしてから殺すだろうな。あいつは今お前のことでイラついているからな」
「俺のことってどういう意味だよ?」
「お前がこの前犯した小林和美は鬼頭の女だ。鬼頭はその犯人を捜している。そして、それが『ニガー』を的にかけている〝デザイア〟の犯行であることもうすうす感づいている。普段鬼頭は長期延滞者への取立てを全て部下に任せている。鬼頭が現場に出る時は何か特別な理由がある時だけだからな」
「……俺があいつの女を犯したって?あんたいつから知ってた?まさか、その為に『ワールド』の会員の中から女を選ばせていたのか」
「いいかよく聞け。逆にこれはチャンスでもある。ここでうまく立ち回ればシナリオ通りにマユミをお前の女にすることができるかもしれないぞ」
「何がシナリオ通りだ。あんた人の気持ちを何だと思ってるんだ。好き勝手弄びやがって」
「……おい、忘れたのか?安久津の死を。お前の暴走のおかげでだいぶ計画が遅れているんだ。それにもし、今の段階でマユミを失ったらお前は明日から生きていけるのか?さっきも言ったがこれはチャンスでもある。目的の為には手段を選ぶな。小さなことは切り捨てろ。言っておくが鬼頭は今までの雑魚とはわけが違うぞ。今のお前じゃ正面から挑めば返り討ちにあってすぐにあの世行きだ。そうならない為にも俺の言うことを聞け」
「……わかった」
俺は國無の言葉に飲み込まれ反論することが出来なかった。
俺はニット帽とサングラスを着用し、全身黒の衣装に身を包み、口の中でボイスチェンジャードロップを転がしていた。
トランクの中のスタンガンや催眠スプレーを手に取り、これから起こる殺し合いのビジョンを頭の中で想像する。
いつか國無が言っていた。
「実戦に勝るトレーニングは常に身の危険を想像し、瞬時に体が動くようにイメージしておくことだ。」
俺は狭い車内の中でそれを繰り返していた。
「鬼頭に今までのような単純な攻撃や騙し討ちは通用しないぞ。本来ならまだぶつかるのは早い段階だが、そうも言ってられないしな。今日は新兵器を用意した。後部座席にもう一つトランクがあるだろ。それを開けてみろ」
國無に言われたとおり俺は後部座席からトランクを持ち上げ中を開いた。
「……これは?」
「気をつけろ。そっと扱えよ」
俺は初めて見るそれに目を奪われていた。
「いいか、時間が無いから簡単に説明するぞ。今から……」
「……」
國無は前々から決めていたようにぺらぺらと今から行う無謀な作戦を俺に説明した。
國無の無茶な話は今に始まったことではなかったが、それでも國無の口から出た言葉はそれこそ映画のワンシーンのような話だった。
「……おい、聴いてるのか?お前の働き次第で結果が変わってくるんだぞ。マユミが欲しくないのか?しっかりしろ」
「……ああ、わかってる」
俺は必死に國無が言った言葉を頭の中でイメージし、これから確実に起こるであろう非現実的な場面に自分がついていけるように努力していた。
そんな中、國無が車を停めた。
6
目の前には信じられない光景が広がっていた。
國無が車を停めた場所は「ニガー」の事務所前だった。
俺は車の中から目の前の光景を見つめていた。
まさに今、マユミが「ニガー」の連中に腕をつかまれ、事務所に連れて行かれる瞬間だった。
連中の後ろには鬼頭の姿もあった。
鬼頭たちは車から降り、事務所に入ろうとしている。
「よし、行くぞ」
そう言うと國無は一気に車を加速させ、鬼頭たちが降りたばかりのベンツにハイエースを突っ込ませ体当たりさせた。
静まりきった街に轟音が響き渡った。
辺りに人影は無い。
いや、そんなことを気にしている暇もなかった。
鬼頭たちは突然の襲撃に目を丸くして呆然としていた。
まだ、頭が現実についていっていない感じだった。
マユミの腕を掴み連行していた「ニガー」の連中もあっけに取られマユミの腕を離していた。
國無はすぐに車を荒々しくバックさせ、マユミの前に横付けした。
「今だ、やれ!」
國無の声と共に、俺は助手席のドアを明け、マユミの手を取りハイエースの中へ引き込んだ。
俺とマユミの目と目が重なり合った。
マユミは突然現れた〝デザイア〟に呆然となり、されるがままに車の中へやってきた。
マユミを抱きかかえ、俺は助手席のドアを閉めた。
それとほぼ同時に國無は車を猛スピードで発進させた。
狭い室内で俺とマユミは身体を密着させた。
ほのかに甘い香りが俺の心臓の鼓動をさらに加速させた。
そんな俺を現実に引き戻したのは國無の一言だった。
「来たぞ!」
ハッとなり、横を見ると窓の外には鬼頭と「ニガー」の連中が半分潰れたベンツでハイエースの横にぴったりと横付けしたまま追ってきていた。
俺は鬼頭と目があった。
鬼頭は自らベンツを運転していた。
俺は鬼頭と視線を絡ませた。
鬼頭は鬼の形相で俺を睨みつけている。
その眼はたった今襲撃されたことに対する怒りだけではなく、恋人を奪われたことに対する怒りも含まれていた。
鬼頭は明らかに俺を〝デザイア〟だと認識している。
鬼頭は何の躊躇もなく、ベンツをハイエースにぶつけてきた。
その度に車は轟音と共にものすごい衝撃を受ける。
衝撃で助手席のドアが凹み、窓ガラスに亀裂が入った。
俺はマユミを急いで後部座席に移動させた。
「身を屈めて頭を低くしてろ」
ボイスチェンジャードロップで低くなった声で俺はマユミに言った。
マユミは必死で言われ通りに後部座席で亀のように丸くなっている。
その間にも鬼頭は容赦なく車をぶつけてくる。
ついに助手席の窓ガラスは粉々に砕け散った。
鬼頭は運転しながら大声で叫んでいる。
「テメエら、このまま無事で済むと思うなよ」
鬼頭の目はまるで野獣が獲物を狙うような眼をしていた。
俺は無意識に國無に視線を送った。
「何やってんだ。このままだとやられるぞ。早くやれ」
國無は前を見たまま大声で叫んだ。
俺は足元のトランクを大急ぎで開けた。
そして、そこに詰まっている液体の入った小型のビンを手に取り、蓋の代わりに詰まっている液体の染み込んだ布にライターで火を点けた。
國無が用意した新兵器とは小型の火炎瓶だった。
火の点いた火炎瓶を持って俺は鬼頭が運転するベンツに振り返った。
火炎瓶を見た鬼頭の眼が一瞬にして変わった。
俺が火炎瓶を投げようとした瞬間、鬼頭は車を体当たりさせ、その衝撃で俺は窓の外に火炎瓶を落としてしまった。
火炎瓶は鬼頭のベンツのすぐ横の道路に落ち、炎上した。
それでも鬼頭の車のスピードは一瞬緩んだ。
ようやく、ベンツとの間にわずかな距離ができた。
「まだだ、もう一回ブチかませ!」
國無の声と共に俺はもう一度火炎瓶に火を点け、思いっきり鬼頭の運転するベンツの正面に投げつけた。
火炎瓶は突っ込んでくるベンツの前方で爆発し炎上した。
その衝撃で鬼頭の車はやっと停まった。
バックミラーに慌てて車から脱出する鬼頭たちの姿があった。
國無の運転するハイエースは猛スピードでその場から走り去った。
辺りは静まり返っていた。
マユミは公園のベンチの上で意識を取り戻した。
気がついた時、マユミは初め自分がどこにいるのか分からなかった。
「ニガー」の連中に捕まり、非現実的なカーチェイスを体験していた最中にどうやら意識を失ってしまったようだった。
マユミは覚えていなかったが、実際にはどさくさに紛れて國無が催眠ガスで眠らせたのだった。
もちろんそれは最高の演出をする為に計算に入れてのことだった。
ベンチから体を起こしたマユミの視界に入ってきたのはニット帽と特殊なサングラスで顔を覆われた男の姿だった。
「よお、気がついたか」
「……」
マユミは驚きを隠せなかった。
マユミは数日前から無性にこの男に会いたいと願っていた。
その為に「ニガー」の事務所の周りをウロウロしていたのだ。
「ニガー」の連中に捕まっていた時、突然自分を助けに現れたこの男に正直ドキドキしていた。
自分の手を取り、車に引き入れ抱きかかえてくれた時、胸がキュンとなった。
それはマユミが久しく忘れていた感情だった。
マユミはこの時、はっきりと確信した。
自分は「この男が好きなんだ」と。
呆然と目の前の男を見つめているマユミに〝デザイア〟はアイスココアを手渡した。
「よかったらどうぞ」
〝デザイア〟からもらったココアを飲んだマユミは落ち着きを取り戻した。
「どう、少しは落ち着いた?」
「……うん。ありがとう。ねえ、あなた〝デザイア〟でしょ?何であたしを助けてくれたの?」
「あれはたまたまさ。俺は「ニガー」の連中を潰そうと思ってるんだ。そこにたまたま君がいただけさ」
「あなたは長期延滞者を助けてるんでしょ?何でそんなことしてるの?危険なだけじゃない」
「さっきも言ったろ。俺はあいつらを潰したいだけだ。別に延滞者を助けたいわけじゃない」
〝デザイア〟の口から出た言葉は以外にも冷たいものだった。
「何であなたは『ニガー』を潰そうとしてるの?彼らに怨みでもあるの?」
「君には関係ないことだ。とにかく一つだけ忠告しておくけど、もう二度と『ニガー』に近づいちゃだめだよ。君の気持ちは良く分かる。でも、君が手を汚す必要は無い。その為に俺みたいな男がいるんだからね」
「……」
マユミは黙ったまま俺を見つめていた。
「さ、だいぶ落ち着いたろ。家まで送るよ」
俺は立ち上がったがマユミはベンチに腰を下ろしたまま動こうとしなかった。
「……まだ帰りたくない。もう少しあたしの話を聞いて」
「……」
「あたしね、昔元彼を……」
「君の話に興味は無い。帰らないなら俺はもう行くよ。時間が無いからね。君は何か勘違いしているんじゃないのか?君の目の前にいる男がどんな男か知っているのか?ここに君一人残して帰ることもできるんだぞ。ホームレスや変質者がウヨウヨしているこの夜の公園にね。さあ、通りまで送っていくから帰るんだ」
俺は冷たくマユミを突き放した。
それはもちろん國無にきつく言われていたからだった。
「〝デザイア〟に惹かれているマユミを冷たく突き放し、お前に好意をもつようにする」
國無のこの言葉を聞いていなければ、俺がマユミにこんな態度で接することはなかった。
傷ついたマユミを強く抱きしめ、最後まで話を聞いてやりたかった。
しかし、それでは駄目だと自分でも分かっていた。
もし、今の姿のままでそんな態度をとってしまえば、マユミは今以上に〝デザイア〟に惹かれてしまうだろう。
俺は目的の為に自分の気持ちを押さえ込んだ。
〝デザイア〟の言葉を聞いてマユミは下を向いたままおもむろに立ち上がったかと思うと、突然、夜の公園の中に走り去って行った。
走り去る直前にマユミの目からは涙が溢れ出していたように見えた。
これでいいんだと思う一方で俺はマユミが心配だった。
半分冗談で言った自分の言葉が胸の中で津波のように押し寄せてきた。
「ホームレスや変質者がウヨウヨしている夜の公園」
確かにここには何人ものホームレスが住み着き、変質者も多く出没すると聞く。
過去には殺人事件もあったという。
しかし、実際にマユミが被害に遭うとは思えない。
しかし、妙な胸騒ぎがいつまでたっても納まらなかった。
俺はマユミが走り去った闇の中をいつまでも見つめていた。
【続く】
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