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2007年7月13日 (金)

デザイアと呼ばれた男       VOL 27

          3

                                             

 俺は國無と待ち合わせをしていたことなどすっかり忘れて、廃屋団地とはまるで反対方向にトモコと歩いていた。

トモコは仕事の都合で最近この辺りに越してきたばかりでほとんど知り合いもなく、寂しい想いをしていたという。

俺とトモコは近くのファミレスへ行こうということになり、世田谷公園の中を通り抜けて歩いていた。

緑が生い茂る静かな公園の中をあの憧れのトモコとこうして並んで歩いていることがとても信じられなかった。

そういえば、いつだったか思い出せないが最近トモコの夢を見たような気がした。

そして、このタイミングで本物のトモコとの再開である。

俺は過去の記憶と共に長い間ずっとトモコに話したかったあのことを思い出した。

これは二度とないチャンスだと思った。

今日この時を逃せば二度とチャンスは訪れないかもしれない。

俺は今日こそあの時言えなかった誤解を解こうと思った。

それは俺の過去のトラウマにケリをつけることだった。

しかし、その直後俺の頭の中で別の考えが浮かんだ。

もしもトモコがあの時のことなどまったく忘れていたらどうしよう。

考えられないことではない。

俺だってトモコに声を掛けられるまで目の前の女がトモコだとは思わなかったし、実際にトモコのことなど頭の奥底に封印していたほどだ。

何も過去の忌わしい記憶を現在に甦らせることはない。

その時、俺たちの反対側から幼稚園児ぐらいの女の子が三輪車に乗って向かってきた。

女の子はまだ三輪車に乗りなれていないらしく、ハンドル操作がおぼつかないようだった。

女の子は向かいからやってきた俺たちのことを意識し、ハンドルを切ろうとしてバランスを崩して三輪車を転倒させてしまった。

女の子は転んだショックと痛みでとたんに泣き出してしまった。

子供が苦手な俺は気まずくなり、早足でその場を立ち去りたかった。

しかし、トモコはすぐに転んで泣いている女の子に駆け寄り「大丈夫?」と声を掛け、頭を撫でながら立たせていた。

俺はそんなトモコの様子を見て愛おしくなった。

女の子はすっかり泣き止み、倒れていた三輪車を起こすとサドルにまたがり、笑顔で言った。

「お姉ちゃんありがとう。ごめんね、デート中に。彼氏が待ってるよ」

そう言い残し、女の子は三輪車に乗って俺たちの前から走り去っていった。

「最近の子はませてるね。かわいい」

トモコは俺の方を振り向いて笑顔で言った。

女の子の言葉とトモコの笑顔を見て、俺は頬を赤らめてしまった。

俺はさっきよりも少し早足でファミレスに向かって歩き出した。

 ファミレス内はさほど混んでいなかった。

ファミレスで俺とトモコは向かい合って座り、おしゃべりに華を咲かせていた。

「で、五味君は今何してるの?」

「ああ、俺はレンタルビデオ屋でバイトしてるよ。ずっとフリーターだね」

「へぇ~、そうなんだ。バイトしながら何か目指してるとか?」

「いや、そんなの何もないんだけどね……で、高宮さんは何してるの?」

「私もねバイトなんだけど、派遣の仕事でお掃除屋さんやってるんだ。一人暮らしの男の人とか、自分の部屋を片付けられない人の部屋にいって掃除や洗濯してあげる仕事なんだけどね、結構時給高いんだよ」

「へぇ~、そう……」

「そうだ!再開を祝して今から五味君の部屋掃除してあげる。もちろん無料で。五味君もこの近くに住んでるんでしょ?」

「……うん」

俺は複雑な心境だった。

何なんだこの展開は?

あのトモコが俺の部屋に来るだと?

トモコは一人暮らしの男の部屋に来るという意味を分かっているのだろうか?

トモコはただ単純に純粋な気持ちで俺の部屋を掃除しにこようとしているのか?

それとも一人の女として俺を誘っているのか?

 俺の脳裏にあの光景が再び浮かび上がってきた。

中学の屋上でオナニーをトモコに目撃されたあの日、あの日を境に俺の中で何かが変わってしまったのだ。

あの日が俺の人生の中で一つのターニングポイントとなっていた。

もし、あの時のことがなかったとしたら、俺は今とまったく違う人生を歩んでいたのかもしれない。

特に〝性〟においては明らかにあの時の出来事は俺のその後の人生に影響していたと思う。

トモコにオナニーを見られていなければ心の中に〝レイプ願望〟も生まれず、レイプでないと絶頂できない体にはならなかたかもしれない。

そうなれば俺は〝デザイア〟などにもならずにすんだかもしれないのだ。

俺はその後のトモコの話す会話に適当な相槌をうちながら過去のトラウマと格闘していた。

そうしている間にいつの間にか時間は過ぎ、外はすっかり暗くなっていて再び夜が営業を開始したのだった。

俺とトモコはファミレスを出た後、自然に俺の部屋に向かっていた。

 

 それから数分後、トモコは俺の部屋の中にいた。

俺はベッドの上にちょこんと座り、部屋の片付けをするトモコの様子を見ていた。

トモコはデニムのジーパンを穿いていたが、トモコのスラッと伸びた足にぴったりとフィットしていたパンツ姿はスカートよりもエロティックだった。

「そんなにジッと見ないでよ。恥ずかしいな」

そう言いながらもトモコは無意識のうちに男心をくすぐる術を披露していた。

「普段はね、専用のエプロンを着けて掃除するんだけど、お客さんの中には別料金を払ってマイエプロンを用意しててそれを着て掃除して欲しいって人もいるんだよ。男の人の妄想ってすごいとおもっちゃった」

「五味君はどんな姿が好みかな?」

「……」

黙っている俺を見て、トモコはニッコリと微笑み部屋の照明を落とした。

突然の闇に俺の目は付いていかず、俺の心は明らかに動揺していた。

 すると突然ベッドが軋み、トモコが俺の座っているベッドの横に座ってきたのが分かった。

トモコは俺に密着して座り、身を寄せて、体を俺に預けてきた。

トモコの肌が俺の手に触れ、俺はさらに驚愕した。

俺の隣にいるトモコは服を脱ぎ、全裸の状態になっていたのだ。

目が次第に闇に慣れてきて、トモコのシルエットがゆっくりと浮かび上がってくる。

それにつられるように俺のペニスもみるみるうちに膨らんでいった。

「……おい、何考えてるんだよ」

「シッ、いいから黙って……」

そう言うとトモコは自分の唇を俺の唇に重ね合わせ湿らせたあと、ゆっくりと口の中に舌を挿入させてきた。

トモコはそのまま自分の体重を重ね、ベッドに俺を押し倒し俺の服を淫らに剥ぎ取っていった。

俺は全裸になりトモコの肌の温もりを直に感じ、硬直したペニスに体を乗っ取られたように性の野獣へと変貌していった。

トモコと体を入れ替え、俺が上になると俺は舌でトモコの身体の掃除を始めた。

足の小指から頭の毛穴に至るまで、俺はたっぷりとトモコの身体を味わった。

 しかし、俺は挿入しようとはしなかった。

ペニスは爆発寸前にまでギンギンに高まっていたが、挿入することができなかった。

もし、ペニスを挿入すれば俺にはどんな結果が待っているかが想像できたからだ。

「ねぇ、そろそろ入れて……」

トモコの言葉が逆に俺を我に帰らせた。

俺はトモコから離れ、ベッドから起き上がった。

「どうしたの?しないの?」

「……うん、ごめん。できないんだ」

「……そう。ねぇ、五味君、もしかしたら〝性〟に対するトラウマか何かもってるんじゃない?もし、あたしでよかったら聞かせてよ」

「……」

それはまさに絶好のタイミングだった。

言うなら今しかないと思った。

しかし、俺の心の中には未だにためらいがあった。

心の奥をさらすのが怖かった。

正直に言えば恐らくトモコは引いてしまい俺に失望するだろう。

俺はトモコに嫌われることを恐れていた。

黙ったまま震えていた俺をトモコは抱き寄せた。

「いいのよ。あなたは何も心配することないわ。私は全てを受け入れる。だから安心して全てを聞かせて。あなたの本音を。過去のトラウマを。あなたを見てひと目で分かった。中学の時からあなたは何も変わっていない。これは私の勘なんだけど、五味君中学時代に私に何か言いたかったことがあったんじゃない?だけど、言えなかった。大丈夫、今なら言えるわ」

トモコの暗示に掛かったように俺は今まで誰にも話したことのなかった心のトラウマを話し始めた。

「君は憶えてないかもしれないけど、中学二年の時、屋上で俺は君にオナニーしてるところを見られたんだ。正確にはオナニーし終わったあとのなんだけど、俺はエロ本を見ながら君のことを想像してオナニーしてたんだ。当時、俺は君のことが好きだったからね。だけど、君は俺にとって手の届かない高嶺の花だった。その君にオナニーしているところを見られて俺はショックだった。それ以来、俺は女とセックスしてもイケない体になっちゃったんだ。」

俺はそこで言葉を切った。

その先の國無由自と出会って、本当の性癖である〝レイプ願望〟については話さなかった。

男のレイプに賛同する女はいない。

俺は自分にブレーキをかけた。

「……そうだったんだ」

トモコは今までよりも強く俺を抱きしめキスした。

「……話してくれてうれしい。それに中学の頃私のことを好きでいてくれたことも。大丈夫。あなたは必ずそのトラウマを乗り越えることができるわ。もう一人じゃないんだもん。今日から私も一緒だから安心して」

 俺の眼から涙が溢れていた。

俺とトモコはそれから一つのベッドで朝までずっと裸で抱き合ったまま過ごした。

 このトモコの出現によって俺の人生はまたしても何者かに捻じ曲げられるように狂いだしていくのだった。

そして、俺とマユミの関係は鬼頭、トモコ、〝もう一人のデザイア〟を巻き込み、最終章に突入しようとしていた。

                                     【続く】

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2007年7月 1日 (日)

デザイアと呼ばれた男     VOL 26

こんにちは。D・二プルです。

最近は携帯小説の投稿にはまっています。

よかったらそっちの方もチェックしてみて下さい!

第八章  現実は暗黒文学のように……

          1

 辺りは静まり返り、空気の澄んだ夜の香りが広がっていた。

俺とマユミは二人で巨漢の鬼頭を担ぎ上げ忌わしい地下室を後にした。

鬼頭は既に意識を失い、今にも死にそうな状態だった。

あの無敵を誇っていた鬼頭が今は俺の横で虫の息になっている。

鬼頭は撃ちぬかれた右肩よりも、何度も蹴られた顔の方が重傷だった。

マユミは地下室で鬼頭の応急手当をしていたが、心配そうな表情で見つめていた。

俺は救急車を呼んで病院に運ぼうと言ったが、マユミは反対した。

銃で撃たれた状態で病院へ行けば必ず病院側は警察に通報する。

俺はそれを知っていてわざと言ったが、そのことをマユミが知っていたばかりか、恨んでいた鬼頭が警察に捕まる心配をしている心境の変化に驚いた。

 鬼頭はマユミの元彼を殺害し、マユミ自身をレイプした男のはずだ。

俺は鬼頭を警察に引き渡すことでもマユミにしたことを考えればだいぶ妥協したつもりだった。

それなのにマユミは鬼頭をかばっているのだ。

マユミは救急車ではなく、タクシーを呼ぶように俺に頼んだ。

俺が携帯でタクシーを呼んでいる間もマユミは電柱にもたれかかって座らせた鬼頭に付きっ切りの状態だった。

俺はそんなマユミのことが気になってしょうがなかった。

 しばらくしてタクシーがやってきた。

鬼頭をタクシーの後部座席に乗せてマユミはその隣に座った。

俺もマユミの隣に座りたかったが、鬼頭とマユミで後部座席はいっぱいになった。

仕方なく俺は助手席に乗った。

 タクシーに乗り込むとマユミは運転手に道を指示し、自宅のマンションに向かわせた。

マユミは鬼頭を自分の部屋に連れて行くつもりなのだ。

いくら意識を失っているとはいえ、過去に自分をレイプした男を部屋に入れるとはどういう神経をしているのだろうか?

タクシーの助手席の上で俺の嫉妬心は次第に膨れ上がっていった。

 

 マユミのマンションに到着した。

タクシーの中では運転手の手前遠慮していたが、俺はマユミに問いただしたいことで頭の中がいっぱいになっていた。

玄関先に鬼頭を運び込んだ時点でそれは限界に達した。

鬼頭の靴を脱がしているマユミに俺は言い放った。

「このまま鬼頭をここに泊めるつもり?」

「うん。そうだよ」

「……鬼頭はマユミの元彼を殺した男だろ?そんな男を自分の部屋に泊めるのか?意識が無いからってちょっと安易すぎるんじゃないのか?」

「何、妬いてるの?やめてよ。みっともない」

「どういう心境の変化だよ。鬼頭のことを殺したいほど憎んでたんじゃなにのか?それなのにどうして……今じゃ警察に引き渡すのも嫌だって言うのかよ」

「そうよ。警察になんか渡さない。警察や世間のものさしで鬼頭を裁かせない。この男の罪はそんなに軽くない。あなたなら分かるでしょ」

 マユミの言葉が俺の心に浸透した。

マユミが言った言葉は鬼頭だけでなく俺にも該当するような気がした。

マユミは俺の心を全て見透かしているように言った。

「ごめんね。もし、さっきまでのあたしの態度で誤解させたなら謝るわ。でも、勘違いしないで。あたしは鬼頭に対して特別な感情は持ってない。もちろん、恨んではいるけど、すぐに殺したりはしない。死は償いにはならない。だけど、鬼頭を許す気もない。あたしにもどうしたらいいのか分からないの。自分の気持ちを整理したいの。だからお願い、少しだけ時間をちょうだい。結果的には五味くんが言うように警察に引き渡すかもしれないけど、今はまだできない。だけど、これだけは憶えておいて。私が今好きなのは五味君だけよ」

そう言って、マユミは自分の唇をそっと近づけ俺の唇を濡らした。

俺はマユミのキス一つで全てを了解した。

女のキスは時に男を落ち着かせ、納得させる効果をもたらすものだ。

 マユミの魔法に罹り鬼頭を奥の部屋に運び込んだ俺だったが、心の片隅ではシコリを残していた。

マユミの中の〝デザイア〟へ対する気持ちはまだ消えたわけではない。

俺は自分に嫉妬し、もう一人の自分に浮気するマユミの女心にわだかまりを忘れていなかった。

それはこれからマユミと付き合っていく上で必ず解決しなければならない大切な問題だった。

それには俺自身の問題も含まれていて、マユミとセックスしても満足できないことが原因で、その結果、マユミに浮気心を植えつけているような気もした。

 マユミが鬼頭を運び込んだ部屋は、俺が以前ここに来た時にいつも閉ざされていた〝開かずの扉〟の中だった。

俺もこの部屋に入るのは初めてだった。

 ここは以前マユミの父が生前書斎として使っていた部屋だった。

小さな机の前には医学関係の本が綺麗に並べられていた。

壁には白衣が掛かっていて、その下には折りたたみ式のベッドが置かれていた。

「父さんはね、あたしがいない時、ここに女を連れ込んでたの。あたしには隠してたつもりだったけど、部屋を掃除してれば女を連れ込んでいることはすぐにわかった。だから、父さんが死んでからはこの部屋はまったく使ってなかったの。あたしはこの部屋が大嫌いだから。だからこの部屋に大切な人は入れたくなかった。ここは汚らわしい場所だったから。だからここに鬼頭を泊めてこれからのことを考えてみようと思った。逆にこの部屋でなら答えがでるかもしれないと思ったの。だけど、心配しないで。もし、鬼頭が意識を取り戻して、あたしに変なことをしようとしたらすぐに殺してやるんだから」

俺はマユミの俺に対する真の気持ちが聞けたような気がした。

今言ったことがマユミの心を全てさらけ出したものではないとしても、俺はマユミの気遣いがとてもうれしかった。

「でも、殺しちゃだめだよ。こんな奴の為にマユミの手を汚す必要はないよ。殺したくなったらまず俺を呼んで。俺が代わりにこいつを殺してやるから」

俺は本気で言ったが、マユミはどういう風に俺の言葉を受け止めたかは分からなかった。

「うん。分かった。ありがとう」

俺とマユミは鬼頭を折りたたみ式のベッドに寝かせドアを閉めた。

とたんに疲れが湧き上がるように押し寄せてきた。

それはマユミも同じだった。

今日一日でいろいろなことがありすぎた。

多くの知人の死、数々の修羅場、初めての殺人……。

俺とマユミは寄り添って一つのベッドに入ったが、身体を一つにすることはなく、そのまま深い眠りについた。

今日一日で起きたことは俺の予想を遥かに超える大問題へと発展するものだった。

翌朝目が覚めた時、俺たちの周りの事態が一変していることなど、今の俺には知る由もなかった。

          2

 翌朝、俺はマユミよりも先に目を覚ました。

昨日は本当に大変な一日だった。

俺の隣でマユミはまだ寝息をたてて眠っていた。

マユミの寝顔を見て俺は少し癒されたが、マユミもまた俺の知らないところで大変な一日を過ごしていたに違いない。

俺が意識を取り戻した時、マユミは鬼頭と一緒にいた。

鬼頭と一緒にいたマユミの姿は俺が予想していたもの違っていた。

恐らく國無が仕掛けたであろうあの〝もう一人のデザイア〟がマユミを犯そうとしていた図。

本来あれは俺が予想していた鬼頭の姿だった。

その鬼頭をマユミの前でぶっ飛ばし、俺はマユミと結ばれる。

そんな安易なシナリオを心のどこかで描いていた。

もちろん、あそこに〝もう一人のデザイア〟が居て、鬼頭と敵対していたからこそ、あんな展開になっていたんだと思うが、俺が意識を取り戻した時、マユミは自分の身を盾にして重傷の鬼頭をかばっていた。

あれが単なる母性本能なのか、人間としての善意なのか、それとも女が男に注ぐ愛情の始まりなのか俺には気になってしょうがなかった。

人は危険な状態に陥ると、種族維持本能が働き、身近な異性に惹かれるという。

あの異常な状況の中で、マユミが鬼頭に好意を持ったとしてもそれはありえないことではない。

 俺は喉の渇きを覚え、ベッドから起き上がり、洗面所に向かった。

その途中で、俺は隣の部屋に寝ている鬼頭の様子を覗いてみた。

鬼頭は昨日と同じようにやっと呼吸をしている状態でベッドの上で眠っていた。

 俺はマユミが寝ていることを確かめ、そっと隣の部屋に侵入し、眠っている鬼頭のすぐ近くに立ち、鬼頭を見下ろした。

このまま鬼頭が死んだらマユミはどう思うだろうか?

少なくても俺は自分の中の悩みが一つ解決することになる。

鬼頭は生きているのが不思議なぐらいの重傷を負っていて、いつ死んでもおかしくないように思えた。

それならいっそう俺の手で殺してしまおうか?

もともと、鬼頭はマユミを苦しめていた張本人で敵のはずだし、昨夜俺は始めて人を殺した。

一人殺すも二人殺すも一緒だ。

俺は鬼頭の首にそっと手をかけた。

このまま少しだけ力を入れれば鬼頭は死ぬ。

人の命なんてはかないものだ。

鬼頭が死ねばこれまで長い間マユミを苦しめていた悪夢から開放することができるんじゃないか?

鬼頭こそがマユミにとって悪の元凶なのだ。

 鬼頭は俺に命綱を握られていることもしらず、意識を失っている。

俺は指先にそっと力を入れた。

鬼頭は何の抵抗も見せぬままされるがままになっている。

鬼頭はここで俺に殺されて死ぬのだ。

だが、その時、俺は昨日のマユミの言葉を思い出した。

 俺はギリギリの瀬戸際で思いとどまり、鬼頭の首から手を離した。

確かに俺は昨日初めてこの手で人を殺した。

しかし、昨日の殺人と今この場で鬼頭を殺すことはまったく違う意味を持つような気がした。

ここで鬼頭を殺してしまったら、俺はもう戻れなくなってしまう。

そうなればもうマユミと一緒に人生を歩めなくなる。

俺はまたしてもギリギリのところでマユミに救われた。

 俺はそっと部屋を出て洗面所に向かい、頭から水をかぶった。

俺はどうかしていた。

俺はもう一度、眠っているマユミの寝顔を見て、外へ出た。

少し、頭を冷やそう。

 外へ出るとすでに夕方になっていることに気づいた。

久しぶりに長時間眠ったおかげで頭の中はすっきりしていた。

俺は自宅に戻り、シャワーを浴び、TVを付けた。

TVのニュースでは「ワールド」で起きた殺人事件が大々的に報じられていた。

今マスコミが報じているのは昨日起こったことのほんの一部のような気がした。

そういえば俺が殺したイブやエナリの死体はどうなったのだろうか?

ニュースを一通り見ていたが、イブやエナリの死体については何も報じられなかった。

どうやらマルイケは警察に逮捕されたようだ。

世田谷公園で激突したヒデはどうなったんだろうか?

タツオとタツヒコの兄弟はあの後どうなったんだろうか?

あの辺りからの記憶がなかった。

どうやら裏であの〝偽デザイア〟が動いていたようだが、その裏には國無由自がいることは間違いないだろう。

そして、俺はTVのニュースで改めてユカの死を確認した。

ユカの子供は警察に保護され、小原は一命を取りとめ、病院に運ばれたようだった。

俺は少し落ち着いたら小原の容態を見に行こうと思っていた。

 その時、携帯に國無から電話が掛かってきた。

「凛一郎、無事だったか?マユミは助け出せたのか?」

「……ああ、何とかな。それよりおっさんに聞きたいことが山ほどあるんだ。まずあの〝偽デザイア〟のことなんだが……」

「待て、凛一郎。俺もお前に話したいことがあるが電話じゃまずい。今からアジトに来れるか?」

「ああ、分かった。じゃあ、今から行く」

携帯を切り、俺は廃屋団地へ向かった。

 廃屋団地のフェンスが見えてきた。

俺は周りを気にしながらフェンスを乗り越えようとしていると、一人の若い女が俺の方を見ていた。

歳は俺と同じぐらいだろうか?

この辺では見かけない顔だったが、とても綺麗な顔立ちをしていた。

俺は女が見ている手前、堂々とフェンスを乗り越えることができず、回り込んで別の場所から入ろうと思った。

 その時、それまでずっと俺の方を見ていた女が、俺の後を追いかけるように近づいてきた。

「あの、間違えてたらすみません。ひょっとして五味凛一郎君じゃないですか?」

「……え、あのどちら様でしょうか?」

「ん?分からない?中学の時同じクラスだった高宮。高宮智子。思い出した?」

俺はその場に呆然と立ち尽くしていた。

今、俺の目の前にいる女は、俺が過去に遠い記憶の彼方にしまいこんだ憧れのトモコだった。

なぜ、今になってトモコが俺の前に現れたのか?

 それは國無由自が作り上げた〝絶望〟という名のシナリオの最終段階の幕開けを意味していた。

                                                 【続く】

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