デザイアと呼ばれた男 VOL 7
第四章 暴れだした欲望
1
コツコツと階段を上る足音が鳴り響く。
俺は二階にある鍵を差込み、オープン前の店内に入る。
始めにもう一つの鍵を使い、セキュリティーを解除する。
それから扉の鍵を閉め、レジのコンピューターを起動させる。
その間に業務用のエプロンを着けて、レジ金を数え、レジにしまっておく。
これでオープン準備は完了した。
俺は店内の音楽を掛け、レジの画面に視線を寄せた。
國無の言っていた事は瞬く間に現実のものとなった。
これまで週5で朝番に入っていたアケミが極端にシフトを減らし、週1、2のペースになった為、その穴埋めとして俺が朝のシフトに入ることになった。
それによってマユミと一緒に働く機会が増え、俺はとても楽しい時を過ごしていた。
マユミとは仕事の合間に様々な世間話をした。
映画のこと、音楽のこと、話題のニュースについて、そして互いの恋愛間について……。
マユミと話すうちに今まで知らなかった色々な情報を聞き出すことができた。
マユミはロックが好きで様々なバンドのおっかけをしているという事。
その中でも「クライム」というバンドが一番好きだという。
将来は自分でカフェかバーを経営したいという夢を持っていること。
その為にバイトを掛け持ちしているということ。
「ワールド」の他にファミレスでバイトをしているという。
実は俺より2歳年上だということ。
そして、今、付き合っている彼氏はいないということ。
それを聞いた時、俺は危うく白坂との関係を口走りそうになり慌てて思いとどまった。
マユミは白坂と付き合っているわけではなかったのか?
じゃあ、白坂とはどんな関係なんだろうか?
マユミは俺に付き合っている相手がいるのか聞いてきた。
俺が相手はいないことを告げると、
「好きな人はいないの?」と聞いてきた。
俺は心の中で「マユミが好きだ」と即座に答えたが、声には出さず、
「気になってる人はいるけど、安久津さんの知らない人ですよ」
と嘘をついた。
俺の嘘の言葉にマユミは興味を示し、あれこれと細かい事を聞いてきた。
「どんな人?どこで知り合ったの?そこ娘は五味君のことどう思ってるのかな?」
それは俺がマユミに一番聞きたいことだった。
俺はマユミの質問に言葉を詰まらせた。
その時、たまたま客がカウンターに来て会話が途切れ、俺は命拾いした。
結局、その話題はそこで途切れたが、いまだにマユミと親密になることはできず、相変わらず距離は縮まっていなかった。
マユミとの距離を縮める為に俺はシフトの一時間前に「ワールド」に来ていた。
マユミが来るまでの間の二時間の間に会員登録データベースを開き、國無の作ったリストの人物の住所、携帯番号を書き写した。
國無がどういう意図でこのリストを作ったのかは疑問だったが、とにかく今は國無の言う通り行動するしかない。
俺はマユミを手に入れる為に悪魔と契約したのだ。
修行の第二段階は俺が会員の中で気に入った女の身元をデータベースの中から調べ、その女の自宅と「ワールド」の間でレイプできるポイントを見つけ出し、自らプランを立て、実行するというものだった。
その間、國無のサポートは一切無し。
國無から渡された道具入りのトランクだけを頼りに俺一人で犯行に及ぶというものだった。
本当の緊急時用に渡された携帯も持っていたがまだ、一度も使ったことは無かった。
レイプの腕はみるみる内に上達し、俺は次第にその禁断の快楽に溺れていった。
それまで、女とセックスしてもイクことのできなかった俺が、レイプすることで必ず射精することができるのだ。
國無の言いつけを守り、俺は必ずゴムを付け、精子の入った使用済みのゴムは持ち帰って処分した。
警察の手を逃れる為に、女には必ず手袋をはめ、爪の中に俺の皮膚が入らないように気をつけた。
皮膚からDNA鑑定されれば身元が割れる恐れがあるという。
それから俺はゴーグルとニット帽で素顔を隠し、ボイスチェンジャードロップで声を低くして別人になりきった。
時には女にも、アイマスクや猿轡を使い、自分の正体がばれないように細心の注意を払った。
俺は國無由自に導かれるように、自分の欲望に忠実に女を犯し、暴力に明け暮れていた。
それにも次第に慣れ、いつしか俺の中で〝デザイア〟というもう一つの人格が生まれる頃、國無の計画は第三段階へと突入しようとしていた。
第三段階で國無が作り、俺がデータベースから書き写したリストが役に立つ時がやってきた。
それはこれまでの意味不明だった行動の真意が明らかになる時でもあった。
そして、マユミの悩みの一つが明らかになるのだった。
2
その日、小林和美は仕事帰りに「ワールド」に向かっていた。
借りていたDVDはすでに三日延滞していた。
駅の改札を出て246沿いを早足で歩いていた。
今日は9時から見たい映画があった。
だから今日はDVDを返したらすぐに帰宅しようと和美は思っていた。
「ワールド」でDVDを返し、三日分の延滞料金を払うと、他の商品に目もくれず一目散に店を出た。
時計を見るとすでに8時55分を回っていた。
和美は足を速めた。
246沿いから細い路地に入る。
普段、帰りは明るい246沿いを通って帰るのだが、この路地を通った方がずっと時間を短縮できるのだった。
和美は路地を早足で歩いていた。
その時、突然、和美は後ろに気配を感じた。
そして、次の瞬間、見知らぬ男が背後から急に襲いかかってきた。
男は慣れた手つきで和美の口を塞ぎながらもう一方の手で和美の手首にて手錠をはめた。
全身に鳥肌が立ち、和美は恐怖を感じた。
和美は男の顔を見た。
男はサングラスと帽子で顔を隠している。
男はまったく慌てた様子もなく和美の手に手袋をはめた。
そして和美は男にさらに細い路地裏に連れ込まれた。
和美は泣きながら必死に抵抗したが、抵抗すればするほど、俺は欲情した。
和美を路地の壁に押し付け、服をめくりあげる。
和美の露になった胸を獣のように舌でいやらしく嘗めまくる。
それでも和美は必死に抵抗する。
俺は和美のショーツの中に手を突っ込み、指でグジュグジュに濡れた和美の中を探索する。
和美の抵抗が最大限に高まった。
「もっと抵抗しろよ」
ボイスチェンジャードロップで変化した俺の声が低く唸る。
それは逆効果だった。
和美の抵抗はみるみるなくなり、諦めの極地へと達した。
そろそろ潮時だった。
俺は腕で和美の体を持ち上げながら股を開かせ、挿入する準備に移った。
最近は立ったままヤルのにもだいぶ慣れてきた。
俺はズボンを下げゴムを装着すると、ペニスを手で導きながら和美の膣の中に入れた。
俺は限界寸前まで激しく腰を動かし続けた。
和美はすでに抵抗をやめ、されるがままに俺に身を預けている。
それでも俺はその直後に射精した。
ペニスを抜き、ザーメンがたっぷり入ったゴムを外してトランクの中にしまった。
和美は涙の痕を残したまま路地にぐったりと座り込んでいる。
和美の顔はすでに無表情だった。
俺は手錠と手袋を外して、即座に立ち去った。
俺は薄暗い路地裏でゴーグルとニット帽を外し、ドロップを捨てて水を飲んだ。
246沿いの明るい大通りに出る頃にはすっかり〝デザイア〟から凛一郎へと戻っていた。
俺はやってきたタクシーを止め、少し走らせてからUターンするように指示し、世田谷公園近くのファミリーレストランの前の道でタクシーを降りた。
ファミリーレストランの階段のゆっくりと上っていき、乗ってきたタクシーが走り去るのを見届けると、何事もなかったように階段を下り、公園の横の路地に入った。
路地を抜け、公園の駐車場の前まで来ると國無がバンに乗ってまっていた。
バンはいつもと同じ型だが、色とナンバープレートは違っていた。
國無がいつも当たり前のように用意してくる車や必要な道具に初めはいちいち驚いていたが、もう慣れてしまった。
俺を拾って國無が運転するバンは走りだした。
「どうだ、たっぷり出してきたか?」
「ああ、楽しんできたぜ」
「いい感じだ。だいぶ余裕も出てきたな。だが、油断するなよ。とくに今日から段三段階に入るんだからな」
「ああ、分かってる」
國無は前を見たまま俺にこれから行う事の説明を始めた。
「いいか、第三段階からは訓練じゃない。お前がマユミを手に入れる為の実戦だ。一つミスも許されない。小さなミスが命取りになるからな。それを肝に銘じておけよ」
「ああ、分かった。で、具体的に何をするんだよ」
「お前が『ワールド』から調べてきたリストがあだろ。今からそのリストの家を一軒一軒回るんだ」
俺はダッシュボードの中からリストを取り出した。
それは長期延滞者のリストで「ワールド」内のブラックリストのメンバーのものだった。
「ワールド」はあまりに悪質な客や長期延滞者をブラック会員とし、業者にそのリストを送る。
一度業者に送った客とは一切取引はしない。
会員証も無効になり、再入会もできない。
業者は闇金の借金取りと同じような輩で、力ずくで延滞者から延滞料金を回収する。
そのやり方は荒っぽく、違法な手段が用いられる場合も少なくなかった。
延滞料金と共に回収された商品は一応「ワールド」に返す決まりになっていたが、必ずしも商品が戻ってくることは無かった。
場合によっては商品を紛失、または壊してしまったということにして、その料金も上乗せして回収する場合もあるからだ。
だから「ワールド」側も無理に商品の返却を望まなかった。
業者送りになった会員の商品はすでに無いものと考えたほうがいいのだ。
「で、長期延滞者の所に行ってどうするんだよ。商品を回収するのか?」
「その逆だ。取立てにきた業者を一人ひとり潰していくんだ。相手はプロだ。武器も携帯している可能性があるから気をぬくんじゃないぞ」
「……ちょっと待ってくれよ。何で俺が回収業者を相手にしなきゃいけないんだよ。あいつらヤクザと変わらないんだぜ」
「言っただろ。マユミを手に入れる為さ。お前にはまだ話していないだろろうが、マユミの心の闇はそこにあるんだよ」
「どういう事だよ」
「マユミは昔、付き合っていた恋人を業者の手によって殺されてるんだよ。表向きには事故死ってことになっているが、真実はそうじゃない。回収業者に抵抗して殺されたんだ。おまけにマユミ自身も恋人の目の前で業者たちに輪姦されている。マユミはいずれ業者たちに復讐しようと思っている。それをお前が手伝ってやるんだ。あくまでそれは偶然なことのように見せなければならない。そしてそれを間接的にマユミに知らせる。そうする事でマユミはお前を特別な目で見るようになるだろう。そうなればお前はマユミを9割は手に入れたと同じだ。段三段階が終わった時、お前の未来は変わるぞ」
「……そんな事があったのか」
「前にマユミが喫茶店で客をボコボコにしたって言ってたろ」
「ああ」
「あれは業者の一人だ。マユミは初めからそれを知ってて実行した。しかし、女手一つでどうにかなる連中じゃない。このまま行けば間違いなく命にかかわる。それを止める為にもお前がやらなくちゃいけないんだよ」
「……」
國無の話を聞いて俺の心は怒りで煮えくり返っていた。
そこにはマユミを自分の女にしたいとか、快楽を求めたいとか、そんな気持ちはどこかに吹っ飛んでいた。
ただ、マユミを苦しめている業者たちが憎かった。
それはこれから俺がやろうとしている行為に意味があるということの証だった。
そんな俺を國無は横目で見ていた。
いつの間にか車は初めの長期延滞者の家の前についていた。
3
10時を回り、辺りは静まり返っていた。
月明かりがこれから起ころうとしている事実を全て悟ったようにやさしく辺りを照らしていた。
車を停め、俺と國無は回収業者が来るのを待っていた。
俺は「ワールド」から取ってきた長期延滞者のリストと國無が事前に調べていた回収業者のタイムテーブルのリストを照らし合わせていた。
そこには長期延滞者の勤め先や何時ごろ帰宅するかなど細かい個人情報が鮮明に記載されていた。
初めの長期延滞者は伊藤大輔という35歳のサラリーマンで、5本のアダルトDVDを58日延滞した時点でブラック会員になった。
延滞料金は総額8万7千円。
伊藤は回収業者からの再三の電話を全て着信拒否し、勤め先でも居留守を使っている確信犯だった。
そこで業者は今日、伊藤の帰宅時に強制徴収を結構する予定になっていた。
回収業者の車は通りを挟んで俺たちのバンの斜め前に停車していた。
回収業者は勿論俺たちの存在を知らない。
國無は俺に以前渡した〝デザイア〟変装時に使うトランクの他にもう一つ別の小さなトランクを手渡した。
そこには以前にも増して様々な武器が入っていた。
サイレンサー付きのブローニング、特殊合金でできた携帯用ワイヤー、猛獣撃退用スプレー、改造スタンガン、ナイフ各種……どれもTVや映画で見るような現実離れした代物bかりがぎっしりと詰まっていた。
「これ本物かよ?」
俺はサイレンサー付きのブローニングを手に取って言った。
「当たり前だ。ここから先は本当に実戦だ。弾はまだ入っていないから自分で詰めろ。銃の扱いはくれぐれも注意しろよ」
「……あんた何者だよ。前から思ってたけどこういう物をどこから仕入れてくるんだ?」
「そんな事はどうでもいい。気を引き締めろ。もうすぐ、伊藤が帰ってくるぞ。奴らが乗り込んで五分したら行動開始だ。分かったな」
「……ああ」
國無はいつも俺の質問をあいまいに誤魔化し、まともに答えた事はない。
俺はいつも國無のことをもっと知りたいと心のどこかで思っていた。
しかし、俺は自然と自分の興味にブレーキを掛けていた。
國無の秘密を興味本位で覗いてしまえば後で取り返しのつかない状況に陥ってしまうような気がしていたのだ。
俺は車のシートの上で体をくねらせながら、〝デザイア〟になる為の準備をしていた。
不思議なことに最近ではサングラスと帽子を付け声を変えると、本当に別人になったような感覚にとらわれ、まるで罪悪感を感じることなく思いっきり行動することができるのだ。
そうしている間に伊藤が帰宅してきた。
部屋に明かりが点くと回収業者の男達はすぐさま車から降り、伊藤の部屋へと向かっていった。
俺は車の中から男達の姿を確認した。
「三人か……」
「いいか、まずは鍵がかかっているか確認しろ。もし、掛かっているようならドアの前で待機しろ。業者が出てきたところを襲う。もし、鍵が掛かっていなかったら、そっとドアを開け、すぐにブレーカーを落とせ。そうしたら、回収業者を一人ずつ倒していけ。心配するな。相手は暗闇でお前の姿は見えない。お前はこの暗視装置付きの特殊ゴーグルをつけているから、相手の動きが手に取るように分かるはずだ。いいか、自信を持て。お前は数々の修羅場を潜り抜けてきた〝デザイア〟だ」
不思議なことに國無の言葉を聞くと自信が湧いてきた。
俺は車を降り、伊藤のアパートの階段を上っていった。
不思議と心の不安と緊張は徐々におさまっていった。
伊藤の部屋の前に着くと俺は大きく深呼吸をして、ドアノブをゆっくりと回した。
鍵は掛かっていなかった。
俺はゆっくりとドアを開け、中に入った。
薄暗い玄関の中に俺は身を潜めていた。
目の前の廊下の先には薄っすらと明かりが点いたリビングのドアがあり、そこからうめき声と罵声が漏れていた。
恐らく伊藤はあの三人組の回収業者に痛めつけられているはずだ。
俺の本心を言えば、伊藤は痛めつけられて当たり前の男だった。
借りたものを返さない伊藤が悪いのだ。
だが、國無からマユミの過去を聞かされて以来、俺の心は決まっていた。
例え気に食わない長期延滞者を助ける事になっても、ヤクザのような回収業者を敵に回しても、マユミの心の闇を救うことができるなら、俺はどんな事でもやろうと思っていた。
そうだ、俺はその為に悪魔と契約したんだ。
その瞬間、俺の中で急に力がみなぎってきた。
俺は國無に言われた通り、玄関先にあるブレーカーを落とした。
その瞬間、辺りは闇に飲み込まれた。
「……なんだこりゃ。どうなってんだ」
回収業者の三人は突然の出来事にパニックになっている。
三人組は以外にも若く、俺と年は同じか年下のようだった。
三人組の足元に伊藤が口から血を流して倒れている。
俺は冷静に辺りの状況を確認していた。
暗視ゴーグルのおかげで俺は昼間のようにくっきりと部屋中を見渡すことができた。
俺はゆっくりと回収業者の背後に忍び寄り、首筋にスタンガンを近づけた。
暗闇の中をスタンガンの電流が走り、回収業者は一人ひとり床に倒れていく。
あっという間に三人は撃沈した。
俺は訳が分からずにキョロキョロしている伊藤に催眠スプレーを吹きかけた。
伊藤はたちまち意識を失って、その場に倒れこんだ。
俺は意識の失った伊藤を引きずって部屋を出た。
アパートの階段の下に國無が車をつけて待っていた。
「どうだった?」
「任務完了だ」
俺は伊藤を担ぎ上げながら言った。
伊藤を車の後部座席に座らせ、シートベルトを締めると、國無は車を出した。
俺は助手席で変装をときながら、危険な任務をやり遂げた達成感に酔いしれていた。
その頃、伊藤のアパートに一人の男がやって来た。
男はブレーカーを上げ、室内の電気を点けた。
床に倒れている回収業者を見て、男は眉間にしわを寄せる。
男は荒々しく回収業者の腹を蹴りつけた。
回収業者の男達は痛みで意識を取り戻した。
「何だ、この有様は」
「きっ鬼頭さん……」
「連絡がなかったのはお前達の班だけだ。延滞金は回収したんだろうな」
「……いえ、それが、途中で何者かが妨害を……」
鬼頭は回収業者の腹に強烈な前蹴りを喰らわせた。
「バカやロー、何やってんだ。で、長期延滞者はどうした?」
「それは……」
次の瞬間、鬼頭は倒れている部下の顔を踏みつけた。
「いいか、なんとしても伊藤とその邪魔した奴を見つけ出せ。さもなきゃお前らを殺すからな」
「……はっはい」
三人組は慌てて部屋から出て行った。
「くそ、バカが……」
鬼頭が部屋を出て行こうとした時、携帯が鳴った。
「何だ、どうした?……何だと?和美が……それで今どこに?分かったすぐ行く」
鬼頭は携帯を切り、急いで部屋を出た。
電話で鬼頭は恋人の小林和美が病院に運ばれたという知らせを受けた。
この後、鬼頭は和美が暴行を受けたという事実を知らされる。
それは俺にとって最大の敵が生まれた瞬間だった。
4
鬼頭は久しぶりに絶望していた。
これまで幾度となく修羅場を潜り抜け、絶望を味わってきた。
友人の死、恋人の死、部下の死……。
無数の絶望の果てに生き残り、今の自分があった。
鬼頭が作った渋谷最強最悪のチーム〝ニガー〟。
その巨大な組織の頭として君臨していた鬼頭はその力を使い、取立て回収業者を設立した。
そして、顧客の信用を得る為に完璧に仕事をこなしてきた。
その結果、鬼頭の取立て回収代行会社「ニガー」は不動の地位を確保した。
最近では仕事も起動に乗り、安定した毎日を過ごしていた。
鬼頭は久しく〝絶望〟を忘れていた。
そんな時、この事件が起きた。
鬼頭は今、三宿病院の病室の中にいた。
目の前のベッド上には顔にマスクを着け、機械に繋がれた恋人 和美の変わり果てた姿だった。
数時間前、和美はある男に襲われ、暴行を受けたと聞かされた。
医者の話では命に別状はないという。
それでも鬼頭の心は煮えくり返っていた。
鬼頭は和美の手をやさしく握り締めると静かに病室を出た。
鬼頭は廊下の壁を思いっきり殴りつけた。
白い壁に亀裂が入る。
鬼頭の顔はまるで悪魔のようなものすごい形相だった。
鬼頭がこんな顔をするのは何年ぶりだろうか。
三宿病院を出ると鬼頭は部下にメールを送信した。
「全員集合!これから緊急収集をかける。最優先事項で行う仕事ができた」
そのメールは「ニガー」の全社員に一斉に送信された。
今回の事件によって鬼頭は会社設立以前の渋谷最大の極悪チームの頭だった頃に戻っていた。
経済最優先でなるべくもめごとを避け利益をあげてきたが、今、鬼頭の頭にあるのは自分の女に手を出した犯人を殺すという極めて単純なことだった。
以前も鬼頭は自分の女に手を出した男を実際に殺していた。
その時はメンバーの末端を一人出頭させ警察を黙らせた。
鬼頭の極悪ぶりはチームの誰もが恐れていた。
気に食わない奴は殺す。
やりたい女は犯す。
そのやり方で鬼頭は今の地位を手に入れた。
どんな手段を使ってでも犯人を見つけ出す。
そして、殺す。
鬼頭は心の中でそう繰り返していた。
回収業者を潰してから数日が経っていた。
伊藤の家で「ニガー」の連中を潰した後、俺は同じ手口で3回「ニガー」の連中を襲い、長期延滞者を助けた。
助け出した長期延滞者は全員國無が車でどこかに連れて行った。
國無は「ニガー」から守る為に別の場所にしばらくかくまうと言っていたが、その行方は不明だった。
そういえば、以前國無は俺が修行の為に喧嘩を売り倒した男や、犯した女をどこかに連れて行っていた。
その時も、「足がつかないように後始末をしてくる」と言っていた。
その時は特に疑わなかったが、やはり國無の行動は謎に包まれていた。
しかし、俺は特に追及しなかった。
それはマユミとの仲が急速に良くなり、バイトが最高に楽しかったからだ。
俺は今、マユミとの距離を確実に縮めていた。
國無の特訓のおかげもあり、俺はみるみるうちに仕事を覚え「ワールド」の中で頭角を現していた。
仕事が早い俺をマユミが一番認めてくれた。
仕事を早く終えることで生まれる余裕がマユミとのおしゃべりの時間を作り出した。
客が来ない間、カウンターの中で二人で横に並び、壁に持たれかけながらする話はいつも俺の心の中の渇きを潤してくれた。
初めはたわいも無い話だった。
しかし、そのたわいも無い話が俺にはとても楽しいひと時だった。
そのうちにマユミは俺に相談を持ちかけてくるようになった。
マユミは様々な悩みを俺に問いかけてきた。
父親の悪癖に悩まされている事。
マユミの母親はマユミが小さい頃に交通事故でなくなっていた。
幼い頃からマユミは父と二人で暮らしていた。
父親はマユミをとても可愛がり、一生懸命働いてくれた。
マユミはそんな父が昔から大好きだった。
女手が無い分マユミは自分のことは全て自分でやった。
初潮も自分の知識で父の手を煩わせずに乗り切った。
毎日夜遅くまで病院で働いている父になるべく負担をかけないように家事も全て自分でやった。
しかし、そんな時、マユミは父の悪癖を知ってしまった。
ある日、マユミが夜勤の父に差し入れを持ってこっそり病院に行くと父は同じく夜勤の若い看護士と仮眠室で情事を交わしていた。
マユミはショックを受け、慌てて病院から走り去った。
それから秘かに父の生活を調べたマユミは、これまでにも父が病院の女医や看護士と関係を持っていた事実を知った。
そればかりか父は病院に入院している患者にも性行為を求めていた。
それは明らかに職権乱用であり犯罪だった。
マユミは父を軽蔑した。
それでも父はマユミの前では〝良い父親〟を演じていた。
マユミのことも真剣に愛してくれた。
マユミにもそんな父のやさしさは充分に伝わっていた。
だからこそマユミは悩んでいた。
何とかして父の悪癖を直したい。
そんなことをマユミは俺に話してくれた。
それは明らかに俺を信用してくれているからこそ話してくれているのだと思った。
俺は何とかしてマユミの力になってやりたいと思った。
そして、マユミの口からあの話が出た時、俺はある行動に出ることを決意した。
それは以前、國無から聞かされた昔の彼氏のことだった。
初めは普通の恋愛話から互いの恋愛感を話している内に、マユミはついにあの話題を切り出した。
それは恐らくマユミにとってはパンドラの箱だったと思う。
マユミが語ったのはまだ話の断片に過ぎなかった。
國無から話の全貌を聞かされ全てを知っている俺にとっては、氷山の一角だった。
しかし、俺はマユミが自ら俺にその話をしてくれたことがすごくうれしかった。
話の途中でカウンターに客が来て話は途切れてしまい、マユミはその続きを話そうとしなかった。
俺も無理に聞きだそうとしなかった。
しかし、その日を境に俺は改めてマユミに惚れ直した。
そして、俺は初めて國無の命令ではなく、自分の判断で行動してしまう。
それが思わぬ落とし穴だとも知らずに……。
【続く】
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